十三、電気分解
次にファラデーの取りかかった研究は、電流の伝導の問題であった。
水は[#「 水は」は底本では「水は」]電流を導くが、それが固体になって氷となると、電流を導かない。これから想いついて、ある固体とそれの溶解して液体となった場合とでは、電流の伝導にどれだけ違いが起るかを調べた。その結果は、金属だと[#「金属だと」は底本では「金属だと」]、固体のときでも液体のときでも、よく伝導してその模様に変りはない。脂肪だと、固体のときでも液体のときでも、電流を導かない。その他の物体では、固体だと電流を伝導しないが、液体になると伝導する。塩化鉛とか、塩化銀とかいうような化合物は、みなこれに属する。かつ液体になっていて、電流を伝導する場合には、その物が分解して電極に集ることも確かめられた。これらの結果は一八三三年四月に発表した。(「電気の実験研究」の第四篇)
ファラデーはなおも研究をつづけて、一定量の電気が同じ液体内を通る場合には、いつも同じだけの作用をすることを確かめた。また液体が分解して電極に集るのは、電極に特別の作用があって、液体の内から物体を引きつけるためではない。物体が液体になりているとき、既に二種の物に分解しているので、電流の通るときにその方向と、反対の方向とに流れ動くため、電極に集るのであることを確かめた。これは一八三三年六月に発表した。(「電気の実験研究」の[#「「電気の実験研究」の」は底本では「「電気の実験研究の」の」]第五篇)
次に別種の問題に着手し、金属がガス体の化合をひき起すことを研究した。これは一八三四年正月に発表した。(「電気の実験研究」の第六篇)
その年の正月の終りから二月にかけて、電気分解に関する大発見が発表された。それは「電気の実験研究」の第七篇になっているが、まずファラデーは電池の電極を、単に電流の入り口と出口に過ぎないからとて、アノード(昇り道)およびカソード(降り道)という名称をつけ、また液体内で分解している物に、アニオン(昇り行く物)およびカチオン(降り行く物)という名前をつけた。
ファラデーは新しい発見をなし、命名の必要を感ずると、当時博学者として有名であったホェーウェルに相談するを例とした。上の命名もこのホェーウェルが案出したものである。
次に、電流の強さを水の電気分解を用いて測定することにした。これで電流計が出来た。そこで一定量の電気を用いて、種々の液体を分解して電極に現われ来る分量を測定した。これで電気分解の定律を発見した。
ファラデーの書いた中には、「電極に現われて来る割合を表わす数を、電気化学当量と呼ぶことにする。しからば水素、酸素、塩素、ヨウ素、鉛、錫はイオンで、前の三つはアニオン。後の三つはカチオンである。その電気化学当量はほとんど一、八、三六、一二五、一〇四、五八である。」
かくして、今日ファラデーの定律と呼ばれている電気分解の定律は発見された。
次にこの定律を電池に応用した結果を一八三四年六月に発表した。(「電気の実験研究」の第七篇)
これにより再び感応電流の研究にもどり、電流を切るときに生ずる火花から電流が自己感応をすることを発見した。これは同年の十一月十三日で、翌日次の様に書いた。「電流の各部分は感応によりて同一の電流の他の部分にも作用し、かつ同一の針金にも、また同一の針金の同一の部分にも作用する」と。
これらは一八三四年末にまとめて、翌年一月に発表し、「電気の実験研究」の第九篇になっている。
それからまた電池の研究に戻った。結果は同年六月に発表した。(「電気の実験研究」の第十篇)
十四、静電気の研究
かように、初めから満五年にもならない間に、これだけの大発見が続いて出たのは、実に驚くの外はない。そのためもあろうが、ファラデーは幾分元気が衰えて来たように見えた。それゆえ以前ほどの勢いは無くなったが、それでもまだ静電気に関する大発見をした。
すなわち、一八三五年には静電気の研究に取りかかり、静電気の感応も中間の媒介物によるのであろうと思って、調べ出したが、中途でフッ素の研究に変り、夏になるとスイスに旅行したりして休養し、前後八個月ばかりも中断してから再び静電気の研究に戻った。
「先ず電気は導体の表面に在るのか、または導体と接する媒介物(絶縁物)の表面に在るのか」という問題から始めて、ガラスのような物を取り、正負電気の間に置いたとして、「感応の現象があるから、電気は導体の方には無く、かえって媒介物の方にあるのだ」と書いた。十二月にはまたフッ素を研究しかけたが、断然止めようと決心し、その四日からは静電気のみの研究に没頭した。最初は静電気の起す作用を、電気分解のときに電流の流れ行くのに較(くら)べて考えておったが、数日後には磁気が指力線に沿うて働くのと同様だと考えついて、
「空気中における感応は、ある線に沿うて起るので、多分実験上、見出し得るだろう」と書き、五日過ぎてからは、「電気は空気、ガラス等にあっては、みな両極性を有して存在する。金属は導体なるがために、かかる状態を保持することが出来ない」と書いた。
かように、電気は導体に在るのではなくて、媒介物たる絶縁物内に正負相並んで存在し、これが導体に接する所、いわば境界の所で、正なり負なりの電気として現われる、ということを発見した。
またファラデーの実験として有名なのに、十二フィートの四角な金網の籠(かご)を作り、これに非常に強い電気をかけても、その内には少しも電気作用が無いというのがある。これもこの頃やったので、これらの研究は一八三七年十二月と同三八年二月とに発表し、「電気の実験研究」の第十一および第十二の両篇をなしている。
この第十二篇の中には、真空放電や火花の事も出ているが、この研究を引きつづき行って、その結果を一八三八年三月に発表した。(「電気の実験研究」の第十三篇)。この時真空管内で、陰極に近い所に暗い部分があることを発見した。これは今日でも「ファラデーの暗界」と呼ばれているものである。
またこの論文の中に「球に正電気を与えて一定の方向に動(うごか)すと、丁度その方向に電流が流れているのと同じ作用を生ずるだろう」と書いてあるが、これは二十八年後に、アメリカのローランドがそのしかる事を実験上に証明した。実際電子論では、電子が運動するのが電流なり、と見做(みな)している。
入力:松本吉彦、松本庄八 校正:小林繁雄
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